スペイン語講座・スペインとの文化・AIYES通信 | 横浜スペイン協会|

新聞雑誌をスペイン語で読むクラスー特別公開講座

2019年6月15日

カタルーニャ:なぜ独立に向かうのか

―歴史的背景と今後の展望

標記講座を下記の通り開催します。

スペイン語クラス受講者以外の方、非会員の方も歓迎です。

 

日時:6月22日(土)10:15~11:45

場所:波止場会館ー横浜市港湾労働会館1階多目的ホール(アクセスは以下をクリック願います)

 http://www.hatoba.jp/access.html

詳細は、以下の添付ファイルをご参照願います。

添付ファイル

2019問屋正勝の巡礼日記(最終)

2019年6月6日

5月28日

 マドリッド

 今朝一番(6時40分)のフライトでマドリッドへ移動しました。

 14時半、マドリッドで一番古い(1838年創業)レストラLhardy(ラルディ)でホルへと落ち合いました。名物マドリッド風コンソメスープ(cocido madrileño)をご馳走したいと言うのです。

 ホルヘは現在27歳、5年前東大隈研吾研究室に一年間留学しました。留学に先立って父親から監視役を依頼されました。横浜の拙宅には何回も来ました。

 日本で建築を勉強するかたわら近代日本映画(小津監督、原節子など)に魅せられ、帰国後建築から映画制作に進路を変えました。

 今年3月には「能」の映画制作の準備で拙宅に滞在しながら「鎌倉能舞台」仕手方の中森貫太氏をインタビューしました。

 食後すぐ近くにある日本政府観光局マドリッド事務所を訪問してホルヘを井上所長に紹介しました。

 逆に事務所主催(?)の日本アニメ映画祭にさそわれホルヘは友人を誘って出席することになりました。

 一瞬で意気投合したようです。

 

 巡礼中、いつものように今後5年間どのように生きるか自分と対話していました。

 結論は

「神(事情)が許す限り続ける」

です。

 これで今回の予定はすべて終了しました。明日のフライで帰国します。

お付き合い、ありがとうございました。

 

 

写真

400年前支倉常長が洗練を受けた教会

2019問屋正勝の巡礼日記㉕

2019年6月4日

5月27日

サンティアゴ・デ・コンポステーラ

 数日前フランス人のJeanさん(リタイアした男性)からメールが来ました。近々フランスで四国遍路の体験談を講演するので情報がほしいといいます。

 彼は2017年4月四国遍路を結願(踏破)しました。多くの他の外国人お遍路さんと同様すっかり虜になったようです。

 黛まどかさんと別れて一人になった時、偶然彼に出会い旅館の夕食を一緒に食べました。

 結願して東京に出てきたとき再会して観光スポットを案内しました。

 同年7月サンティアゴで行われた四国遍路展にも顔を出してくれて私を驚かせました。

 今回巡礼中多くの外国人(?)と四国遍路のことが話題になり、そのうち何人かはすでに体験していました。お遍路がどんなに素晴らしかったか、彼らの話を聴くのは嬉しいことです。

 サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学のPolo教授他と面談しました。

 その後XacobeoのSingul博士とCafé Casinoで会って世間話をしました。彼は中世ヨーロッパ歴史美術の専門家で、巡礼の学術的知識も豊富です。一方私は身体的実践を長年積んでいるので彼との会話はいつも楽しいものです。

 

 写真

Café Casinoのテラス席でSingul博士と

2019問屋正勝の巡礼日記㉔

2019年6月2日

5月26日

 Fisterra - Santiago de Compostela (autobús)

 今朝バスでフィニステーレからサンティアゴに戻って再び大聖堂の広場(オブラドイロ広場)に立ちました。

 2007年、最初の巡礼で大聖堂に着いて広場に立った時のことはいまでも鮮明に覚えています。

 最初に洋子(妻)に携帯電話をかけて報告しました。巡礼に出かける5年ほど前から休める日は必ず洋子が作ったおにぎりを二個持って丹沢や近郊を歩いていました。電話をかけながら何故かおにぎりを作る洋子の姿が目に浮かびました。

 2016年、オブラドイロ広場の西面にあるガリシア州政府の広間で四国四県とガリシア州の協力協定に署名がされました。日本からは越川日本大使、香川県浜田知事、県議会議長、その他県の副知事を始め総勢約40名。ガリシア州からは州政府首相、州議会議長、観光局長ナバ・カストロ長官などが出席されました。

 前夜の歓迎会、当日の式典、シンポジュム、昼餐会、返礼の夕餐会、翌日の交流巡礼(NHK同行)他で行事がぎっしり詰まっていました。

 私は最初からコーディネーターとして細部にわたるまで交渉に当たりました。

 直接金銭が絡む内容ではないとは言え、遠く離れた四国とガリシアの間の交渉ですから習慣・文化・価値観の違いから両方でイライラする事が多くあったと思います。それを調整するのがコーディネーターの仕事と思って取り組みました。

私も貴重な経験をさせていただきました。

 この13年間で最も残念なことは巡礼でお世話になった3名の方お亡くなりになったことです。

 菅間さんは日立製作所の先輩です。私より何年も早くスペイン人の親友ハビエルさんと一緒にサンティアゴ巡礼を実行されました。巡礼中ブラジル人ウォルタ夫妻と知り合いになり、その後菅間・ハビエル・ウオルタ氏は強い友情で結ばれているようでした。

 私は菅間さんの紹介でバスクに住むハビエルさんを毎年訪問することになりました。

 ブラジルにある「太陽の道」を歩いた時もサンパウロのウォルタさん宅に数日間泊めていただきました。

 数年前3人はまるで誘い合うようにほぼ同じ時期にお亡くなりになりました。不思議なことに3人がお亡くなりになる直前、私が3人の間に入って近況をお知らせしていました。

 

写真

サンティアゴの街

2019問屋正勝の巡礼日記㉓

2019年6月1日

5月24日

 Lago - Cee, 歩行距離25.8km

 3時間ほど歩くと左はフィニステーレ(Finisterre)、右はムシア(Muxia)に向かう道標があります。私は左のフィニステーレに向かいました。

 このルートを歩くほとんどは一人です。黙って何かを求めているようです。

 4月10日に歩き出して初めて海を見ました。中世の頃の人もきっと感動したことだろうと思いました。

 昼食のメインは白米のうえにイカのスミ煮をかけたものでした。見た目とちがってとてもおいしいです。

 夕方、巡礼宿のご主人の車で15分くらいのところにあるエサロの滝 (Cascada de Ézaro)を見に行きました。水量が多く近寄って見ると迫力がありました。

 

 

5月25日

 Cee - Fisterra(Finisterre) - Cabo, 歩行距離19.3km

 Finisterre(フィニステーレ)の岬は私の交流コーディネーターの活動の原点となりました。

 2007年9月、800kmの巡礼を終えて岬に来た私はモリナセカのアルフレッドと出会いました。岬の先端で記念写真のシャッターを押してくれたのがアルフレッドでした。

翌年から毎年モリナセカの巡礼宿(アルベルゲ)で1月間ボランティアをするようになりました。

 2008年、人口900人のモリナセカと四国愛南町・宇多津町で始まった交流は2016年、形を変えて四国四県とガリシア州の協力協定に発展しました。

 私は一貫してボランティアのコーディネーターとして一連の交流事業に関与してきました。ある時は能動的にある時は受動的に。

 今思えばそれはまるで細い糸をよって次につなげるような作業でした。支援してくださった方たちがいなければ中断した作業だと思います。

 夕方、港ちかくのホテルから30分歩いて岬(灯台)に行きました。

 昔地球が平板と信じられていた時、ここは地の果てでした。この海で太陽は毎日死んで翌朝蘇ると古代の人は考えていたという。

 冬の北大西洋は海が荒れてしばしば遭難事故があり、死の海と恐れられていたと地元の村長さんから説明を聞いたことがあります。

 今日の海は静かでしたが海面付近に雲が立ち上がり完全な日没の撮影にはなりませんでした。

 今日で1000kmの巡礼は終わりです。

 明日(日曜日)はバスでサンティアゴに戻り、明後日(月曜日)はサンティアゴ大学副学長を訪問する予定です。

 

 写真

フィニステーレ岬の日没