スペイン語講座・スペインとの文化・AIYES通信 | 横浜スペイン協会|

2019問屋正勝の巡礼日記㉒

2019年5月29日

5月22日

 Santiago de Compostela - Negreira, 歩行距離20.6km

 7人で朝食を取った後同行の人たちと別れ、独りでフィニステーレに向かって出発しました。昨日までと違って巡礼者の数もバルの数も少なく静かな巡礼です。

 立派なオレオ(hórreo)がある家から出てきた人にオレオを使う目的を訊きました。「庭の飾りとトウモロコシの保存です。腐らないようにね。」という返事が返ってきました。

 

 

5月23日

 Negreira - Lago, 歩行距離23.6km

 ガリシア地方の天気は目まぐるしく変わります。6時半、真っ暗な中を出発したたときは星も月も見えない曇り空。

 8時半ころ途中のバルで朝食に食べたpan tostado con tomate。「これまでに食べたpan tostado con tomate中で一番うまかった」とbarのご主人に言うと喜んでくれました。

 pan tostado con tomateはトーストにつぶしたトマト、その上にたっぷりとオリーブオイルをかけ、塩をふりかけたものです。スペインの代表的な夏の朝食です。

 barで朝食をとっている間に通り雨が降って、出発する頃にはもう晴れ間が見えました。

写真

オレオ(トウモロコシの貯蔵倉)

 

 

2019問屋正勝の巡礼日記㉑

2019年5月28日

5月21日

 Pedrouzo - Santiago de Compostela, 歩行距離20km

 6時半、巡礼宿を出ると出るとすぐに幽霊がでそうな真っ暗なユーカリに森に入ります。

 遠い道程を歩いてきた大勢の巡礼者たちの顔も間もなく見るであろう大聖堂への期待で輝いて見えます。

 モンテドゴソ(Monte do Gozo)からサンティアゴ大聖堂まで残り5km。大聖堂の尖塔が肉眼ではっりと見えたとき巡礼者は歓喜したのがその名前の由来という。

 この丘には1989年、ローマ法王ヨハンパウロ2世が数千人の信者を前に屋外ミサをされたモニュメントがあります。巡礼者にとってはこちらの方が大事だと思われるが、日本の旅行案内にはその数百m先の二人の巡礼者像しか紹介されていません。

 43日間、1000km歩いてとうとうサンティアゴ大聖堂に到着しました。

 同行の6人と一緒にガリシア州政府観光局とXacobeoを表敬訪問しました。

観光局はプロモーション部長のCarmen Pitaさん、Xacobeo は新任のIsaia Calvo理事長、シングル氏とお会いできました。カルメンさんとシングルさんとはこれまで交流時の交渉の相手方として6年くらいのお付き合いがあります。

 シングルさん(歴史美術博士)は四国四県とガリシア州政府が4年前協力協定を締結した時、契約文書の交渉担当者として私のカウンターパートナーでした。

 2017年、黛まどかさんの四国遍路に2週間同行した時、サンティアゴから駆けつけて3日間にわたってお遍路に同行してくれました。

 Xacobeo(シャコベオ)はガリシア州政府の直轄の機関でサンティアゴ巡礼路のインフラ整備(道の整備、道標の設置、80の直営巡礼宿の運営)、歴史研究などを行っています。

写真  サンティアゴ大聖堂

2019問屋正勝の巡礼日記⑳

2019年5月27日

5月17日

 Sarria - Portomarín, 歩行距離22.2km

 夜明け前の6時半、昨日合流した人を含め7人で宿を出発しました。

 SarriaからSantiago de Compostelaまで残り115km。ここから最終目的地のサンティアゴまで完歩することが、巡礼完了証明書を受領できる条件です。そのためここから歩き始める巡礼者の数が急激に増えます。

 7時頃から雨が降り始めやがて本降りになり、Portomarín に近づく頃にはまた青空が見えるような目まぐるしい天気の変化がありました。

 Portomarínは1960年代ダムの底に村が沈んだ時、村の住民が移住してできた村です。村の中心にある教会(San Juan教会, ロマネスク様式)は村人が石のブロックを1個づつ運び上げて移築したものです。このため各ブロックには今でもその時の追番が認められます。

 夜、この教会のミサに出席し神父から巡礼者の祝福を受けました。

 

5月18日

 Portomarín - Palas de Rei, 歩行距離24km

 6時半に出発して2時間半位歩いたところで朝食をとりました。今日も時々雨で天候の変化が激しい一日でした。

 数週間前にブルゴスで別れたO氏と巡礼路で偶然再会しました。O氏は膝を痛めたためブルゴスで三泊して休養をとっていました。とても嬉しい再会でした。

 ブルゴスの後、O氏がレオン市を通りがかった時、偶然新百合ヶ丘に住むAO氏夫妻に出会い、話をしている中でAO氏と私が同じ医療通訳の団体に所属することを知ったそうです。不思議な力を感じます。

 巡礼宿近くのレストランで昼食をとっていると隣のテーブルから美味しいワインのプレゼントがあり賑やかな交流がありました。地元の人たちでした。別れ際に夕食のご招待がありました。

 夜、向かいの教会のミサに出席して神父から「巡礼者の祝福」を受けました。60人くらいの参列者のほとんどは巡礼者でした。ここPalas de Reiは巡礼者の町です。

 ミサの後、約束の待ちあわせ場所に行くと昼間のレストランの人たちが来ました。二軒ハシゴして賑やかな交流を終えました。

2019問屋正勝の巡礼日記⑲

2019年5月24日

5月15日

 Vega de Valcarce - Fonfría, 歩行距離23.3km

 サンティアゴ巡礼路の最大の難関と言われるセブレイロ峠を越えました。途中でガリシア州に入りました。

高低差は800mありますが日本でトレーニングを重ねた我々にはそれほどのものではありませんでした。

 峠にはSanta María教会があります。巡礼路で最古の教会でいろいろな奇跡を起こし、巡礼路の黄色の矢印を始めた神父がおられました。

 峠には数軒のPallosaが見られます。前ローマ時代、ケルト民族は東アジアから西に進み北スペインからスコットランドに勢力を伸ばしました。Pallosaは石作り茅葺きの家、ガイタと呼ばれるバグパイプとともにケルト文化の名残です。ガイタはスコットランドのバグパイプとそっくりです。

 Fonfríaの巡礼宿はAngelaが経営するアルベルゲです。アンヘラと知り合ってもう10年になります。「あいTV」のロケで宇都宮まきが淡い恋心を抱いたロシア人青年と出会った所です。

 夕食は全員でPallosa作りのアルベルゲのレストランでとりました。食事後queimada、各国の歌、踊りがあり巡礼者は皆楽しんでいました。

 queimada:発祥時期不明。素焼きの器にスペイン焼酎、コーヒー豆、オレンジ・リンゴ、砂糖を入れる。点火すると青い炎を上げて燃える。嫌なこと、悪霊は出ていけと呪文を唱える。残った液体を皆で飲む。

 

 

5月16日

 Fonfría - Sarria, 歩行距離27.4km

 Fonfriaの巡礼宿の女主人アンヘラとは2008年にちかくのBalboa村へアルフレッドと一緒に出かけたとき知り合いました。それ以来何度もこの巡礼宿に滞在しています。

 ルイス・イサベル夫妻とその息子のホアキンはCaseresの西90kmの国境の小さな村Huertaに住んでいます。8年ほど前に10日間程夫妻の家に招待されました。Huertaを拠点にルイスの車でポルトガル各地を訪問しました。

 アンヘラと夫妻は旧知の仲で、アンヘラは私との写真を夫妻に送ると言いました。

 四人でFonfriaを出発したのはまだ暗い6時半でした。1時間ほど歩いたところで夜明けの雲海に出会いました。海抜1300mから眺める朝日に照らされ刻々変わる様子は絶景です。

 ぐんぐん降りるとガスの中にそして曇ったTriacastelaの村に着きました。

 Triacastelaのサンティアゴ教会では「あいTV」のロケで神父による祝福を受けました。神父の言葉に感動した同行の女性通訳が泣き出し、主人公の宇都宮まきの顔がそれまでのハイカーのものから巡礼者のそれに変わった瞬間でした。昨日のことのように覚えています。

 Samos修道院の向こう側のレストランで昼食を取りました。ご主人は数年前2ヶ月かけて熊野古道を歩いたといって写真を見せてくれました。四国遍路や熊野古道のことを知っている人は確実に増ていることを実感します。

 昼食後歩き始めて降り出した雨はやがて本降りとなりSarriaに着いたのは4時半頃でした。宿のご主人Joseが暖かく迎えてくれました。

 ここで新たに日本から来た3人と懐かしく再会しました。我々は7人になりました。

 7人は昨年10月から毎週末丹沢の山に出かけてトレーニングをして来た仲間です。

 明日は朝から雨の予報です

 

写真は

州境の道標

2019問屋正勝の巡礼日記⑱

2019年5月23日

5月13日

Molinaseca - Cacabelos, 23.1km

 2011年、愛媛県松山市に本社がある「あいTV」(JNN系)は宇都宮まきが主演、大杉漣(故人)がナレーターをつとめるTV番組「道の旅人になる~聖地巡礼200キロの旅~」の現地撮影を行い、翌年全国放送されました。

 私はコーディネーターとして具体的な撮影計画助言、機材運搬のタクシー・宿泊所の手配、大聖堂などの撮影申請などこのプロジェクトに参加しました。

 事前のロケハンはパンプローナから始まり最後の100kmはスタッフも全員歩いてサンティアゴ大聖堂で巡礼完了証明書を受領しました。

 本番の出発地はモリナセカのアルフレッドの巡礼宿でした。元気いっぱいの宇都宮まきやスタッフの皆様の姿を鮮明に覚えています。今でもこの番組取材巡礼は私にとって最も良い思い出の詰まった巡礼の一つです。

 今日からは日本からの参加者3人を加えて4人の巡礼です。昨年10月から毎週日曜日に一緒に山歩きのトレーニングをしてきた仲間たちです。

 

5月14日

 Cacabelos - Vega de Valcarce, 歩行距離26km

 昨日と今日は広大な葡萄畑の中を歩きました。このあたりはBierzo郡で周りが山で囲まれた盆地です。葡萄(mencia種)の栽培に適しているようです。その他にチェリーの木や栗の巨木も多く目にします。チェリーは間もなく収穫期を迎えます。

 栗の木はこの近くにあるローマ時代の金鉱(Las Medulas, 世界遺産)で当時働いていた鉱夫の食料としてローマ人たちがもたらしたものと言われています。

 朝出発時は肌寒かったのが、昼過ぎには30度近くの暑さになりました。

 夕食は近くの食品店で材料を買ってきて4人で巡礼宿のキッチンで自炊しました。多くの巡礼宿には巡礼者が自由に使えるキッチンがあります。

 

写真

昨年の桜記念植樹

2019問屋正勝の巡礼日記⑰

2019年5月22日

5月12日

 Molinaseca

 今日は巡礼を休みました。

 8時半頃から巡礼宿(サンタマリナ)の掃除に参加しました。2008年から毎年やっていることです。

 掃除の効能は絶大です。

部屋が綺麗になると気分がよくなります。帰国後家事をする事に全く抵抗がなくなります。これは退職者には重要なことです。

 巡礼宿の近くで老夫婦が「トイヤでしょう?」と声をかけてきました。バスク地方出身のスペイン人です。「2015年アリカンテからの巡礼路上の村で会った」「貴方のことをよく覚えている」「村の住民から洞穴の酒蔵に一緒に招かれた」と言う。薄れた記憶を頼りにGoogleアルバムから一緒に写った1枚の写真を見せると、「それだ」と言う。数年に一度くらい同じようなことがあります。

 この村には2008年から毎年ボランティアをするために来るようになりました。

いろいろな思い出があります。

 2013年、「日西交流400周年」として各種記念行事が日本とスペインで行われました。私は「両国の大使が地元の知事と記念巡礼・お遍路をする」計画を両国大使館と日西の地元県庁に提案しました。実現のためにいろいろな方のご協力・支援いただき紆余曲折の後実現にこぎつくことが出来ました。

 モリナセカはそのときの重要な舞台の一つです。町営巡礼宿の庭に佐藤大使(現ブラジル大使)とカラスコ知人(故人)の手で桜の木が5本植樹され、記念石柱が除幕されました。石柱のプレートは私が自分のPCで作成したものです。カラスコ知事はその数年後、暴漢によって射殺されました。5本の桜の木は逞しく育ち毎年花を咲かせています。

 2014年、「日西交流400周年記念」事業として香川県在住の仏師凡海さんが3ヶ月かかってモリナセカ町営巡礼宿の庭の生きた胡桃の木に観音像を彫りました。除幕、開眼供養には京都の僧侶や四国NPO遍路とおもてなしのネットワーク関係者40名および地元の多くの関係者が参列しました。現在では時々観光バスで訪問するグループがあるようです。私は最初からコーディネーター通訳者としてこの事業に関与しました。

 2018年、「日西外交樹立150周年」を記念して記念巡礼を計画・募集・実行しました。ルートはモリナセカに出発してポンフェラーダ、モンフォルテを経由しサンティアゴに至る「冬の道」200kmです。参加者は四国、横浜からの8名。沿道の市町村で連日大変な歓待を受け、TVラジオ新聞の取材を受け、サンティアゴでは大司教に謁見する事が出来ました。

 夕方巡礼宿で台湾から来た若い女性が足の指に大きなマメを作って困っていました。柔らかい皮膚だったので処置は簡単でした。

2019問屋正勝の巡礼日記⑯

2019年5月21日

5月10日

 Astorga - Rabanal del Camino, 21.8km

 今日は道中で5人の日本人巡礼者と15人くらいの韓国人巡礼者に会いました。

そのうちの一人はレオン市で薬局に同行した女性です。すっかりよくなって元気に歩いています。

 今日宿泊の巡礼宿は海抜1200m弱のラバナルデルカミノという小さな村にあります。20人収容の小さな宿で、イギリスの教会が運営しています。世話人はイギリスから交代で派遣されたボランティアさんです。清潔でスペースに余裕があり世話人は親切で快適です。料金は決まっておらず寄付のみです。

 ここからモリナセカまでの25kmの山道は、5年前、米国在住の長男(物理学博士、通訳)が連れ合い(イタリア系米人女性、高校数学教師)と一緒に私の巡礼に同行してくれました。

 アルベルゲの入り口に着くと日本人30歳台のN君が足が痛いといいます。診ると足首がひどく腫れていて腱鞘炎です。明日の行程は100~200mくらいの登り下りの後、一気に900mの下り坂です。多くの人が脚を痛めるところなのでTaxiでモリナセカまで行って2泊の休養をとること勧めました。そしてタクシーと宿の手配をしてあげました。

 夕食は私が近くのミニスーパーで材料を買ってきて巡礼宿でN君と自炊しました。スパゲティとサラダです。

 それを食べているとブランコ氏とその友人が巡礼宿に私を訪ねてきました。話の結果、明日N君も一緒にご自宅の夕食に招待していただくことになりました。

 

5月11日

 Rabanal del Camino - Molinaseca, 歩行距離25km

 ラバナルの巡礼宿を7時前に出発した時は寒くてスキー用手袋を着用しました。

 1時間半くらいで「鉄の十字架」のモニュメントがあります。自宅から持って来た小石に願いを書いて十字架の下に置けばその願いが叶うという伝説があります。長年の間に大きな山となっています。

 海抜1500mのイラゴ山を超えて900m降りるとモリナセカです。長距離を歩いて軋む体で急な下り坂を降りるとモリナセカに着くころには脚を傷めるている人もすくなくありません。

 モリナセカの巡礼宿に着くと御主人のアルフレッド、奥様のクリスティーナ、スタッフのパコが暖かく迎えてくれました。アルフレッドとは2007年最初の巡礼の後、西端のフィニステーレ岬で知り合いました。翌2008年から毎年巡礼の後、モリナセカにあるアルフレッドの巡礼宿で2週間~1ヵ月ボランティアをすることになりました。仕事は4人で分担して行います。私の仕事は全館のはき掃除とモップ掛けです。昼食はクリスティーナが作る家庭料理を一緒に食べます。

2009年、アルフレッドはモリナセカ町長と一緒に来日し私の案内で四国各地や京都を訪問しました。またアルフレッドは四国との交流を始める過程で大きな貢献をしました。

 夕方脚をいためてタクシーで来たN君に通訳として町の薬局に同行しました。

 夜9時、日本からのメンバー2名と昨日知り合ったN君の4名が隣のベンビブレ町のオーナシェフRafaeに招待され彼のレストランLa Piedraでご馳走になりました。セシーナ(牛の生ハム)、チーズ、鴨、キノコ、メルルーサなどの料理が次々と出てきました。もちろん赤と白のワインもありました。

 食事の後、karaokeタイムとなりオーナシェフのラファエルがうまい歌を披露してくれました。日本人のSさんはフラメンコが得意でレストランに居合わせた25人くらいのスペイン人は皆驚きは大きな拍手がありました。そのうち数名が立ち上がって踊りに加わりました。宿に戻るのは少し遅くなりました。

5月「旅でスペインを識ろう会」のご案内

2019年5月20日

今月は大竹智栄子様が、カナリア諸島を旅された際のお話をして下さいます。
彼女は、今年の後半にお話しして下さる予定でしたが
私のたってのお願いで、急遽今月に間に合わせ準備をしてくださいました。
 
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ヨーロッパともアフリカとも異なる景観、独特の自然環境、そしてスペイン最高峰のテイデ山、
見どころたくさんのカナリア諸島を旅して。  大竹記
 
皆さまご存知のように、大竹様はスペインへの造詣が大変深くていらっしゃいますので
今回も素らしい切り口で、中身の濃いお話が展開されていくものと思われます。
そして何と、カナリアはこの「旅の会でも初めて取り上げられる地なのです! 本当に楽しみですね~!!!
皆様、どうぞ奮ってご参加下さい。
 
日時: 5月20日(月) 15:00~16:45 (今月は第3週になりますので、ご注意ください)
場所: 神奈川県民センター 604号室
講演者: 大竹智栄子様
タイトル:「カナリア諸島旅行記」
参加費: 300円
お茶は各自でご用意ください。
 
資料、その他の準備のため、参加希望者は真木までご連絡ください。
 
真木幸子
 

2019問屋正勝の巡礼日記⑮

2019年5月18日

5月9日

 San Martín del Camino - Astorga, 歩行距離23.7km

 宿を出て2時間で Hospital de Órbigoの橋にきました。村の娘の獲得をめぐって中世の騎士が決闘をしたという伝説に因んで毎年村祭りがあります。

 Astorga(アストルガ)を見下ろす丘にさしかかった時、聞き覚えのあるギターと歌が聞こえてきました。2007年、巡礼博物館の入り口でギターの曲芸引きをしていたジプシーの男性です。懐かしくてしばらく足を止めました。

 

Astorga(アストルガ)には巡礼者として何度も滞在しましたが、2010年には巡礼宿のボランティアとして2週間滞在しました。今日、巡礼宿の受付にはマティが管理人として座っていて、私に気がついて抱きついてきました。マティはバスク出身の70歳台の男性で、2009年、モリナセカ町の巡礼宿で一月間一緒にボランティアをしました。

 

 

アストルガはセビリアから北上してきた銀の道(Vía de la Plata)と東から来たフランス人の道(Camino Francés) が合流する地点でローマ時代から交通の要衝とされてきました。多くの都市と同様城壁によって囲まれています。

 

ガウディの設計による司教館がありますが、現在では巡礼博物館として使われています。

 夕方、友人のプリアランサ町長ブランコ氏の車でレオン市に行きました。

26日に行われる統一地方選挙の国民党の集会に参入(珍入)しました。カスティージャレオン州議会議員の立候補表明の集会でした。現州政府環境大臣のファンカルロスが7名の立候補者の代表です。集会場の入り口で私が来たこと知ると驚いてしかし親しみを込めて挨拶してくれました。ファンカルロスの息子のホルヘは4年ほど前に東大隈研吾研究室に1年間留学していますが、父親ファンカルロスの依頼で留学中事実上の後見人になりました。正月に父と息子で家内(洋子)のおせち料理を食べたときのことはいつも話題になります。

 集会場ではレオン県議会のエミリオとも会いました。エミリオは4年前ブランコ氏と一緒に来日しました。東京、横浜、香川、愛媛そして京都を一緒に周りました。京都の和式旅館で雑魚寝をしたときの写真を懐かしそうに見せてくれました。行く先々で大歓迎を受けたことをいつまでも覚えています。

 

 写真は 

ガウディの司教館

 

2019問屋正勝の巡礼日記⑭

2019年5月16日

5月8日

 León - San Martín del Camino, 歩行距離 24.6km

 レオンのサンイシドロ教会(ロマネスク様式)のことです。

2014年、教会(Basilica)付属の博物館に展示してあった酒杯が研究の結果、実は最後の晩餐で使われた聖杯であることがわかったというのです。

それまでそのほかの展示品と並べて展示されていたものが突然大きな個室に移動されました。

博物館にはまたレオン王家の霊廟がありロマネスク様式の見事な壁画を観ることが出来ました。

 今朝は雨、昼前から猛烈な風で歩きにくい一日でした。

巡礼をしていると灌漑用に張り巡らされた水路をよく見かけます。以前スペイン人から、数少ないフランコ将軍の偉業の一つだ、と聞きました。

 現在、四国遍路をしているフィンランド女性Tiinaさんからメールが来ました。

連休で宿の確保が不可能になった時の救援をNPO遍路とおもてなしのネットワーク事務局長にお願いしてあったのですが、どうやら自力で行けそうだと言うのです。お遍路をする外国人はここ数年急激に増えているようですが、多くの人から素晴らしい体験だったと聞きます。

 今日の宿の夕食は先日マメの治療したMarcoやRoberta(ネッスルの営業課長の女性)などブラジル人たち他といっしょになりました。

写真は    サンマルティンデルカミノ村へ向かう

 

2019問屋正勝の巡礼日記⑬

2019年5月14日

5月7日

 Mansilla de las Mulas - León, 歩行距離18.5km

 今日の巡礼途中、レオン市内にあるレヒオ中等学校に電話して校長先生と正午にアポイントを取りました。ここは昔巡礼者向けの救護院(教会、病院、宿泊施設を兼ねたもの)だったものが、近年になって学校に転用されたものです。名前も変わっているのでスペイン側の研究者に問い合わせて転用のことがわかり、校長先生にお会いして事実関係が確認できました。このように教会や修道院が転用されることはスペインではしばしば見かけることです。これはR大学の教授の研究のお手伝いです。

 レオン大聖堂は世界遺産ではありませんが、ブルゴス大聖堂と同じくらい立派なものです。特にステンドグラスの美しさが有名です。

 レオン市にはこれまで巡礼の為だけではなく交流のコーディネータとしてもしばしば来ています。最も強く記憶に残っているのは2014年のことです。

自分の巡礼を中断して列車でレオン市に向かっているとレオン県会議員のブランコ氏から電話がかかってきました。レオン県のカラスコ知事が数時間前に銃殺されたと言うのです。翌日の正午香川県議会議員団12名がカラスコ知事に面会することになっていました。日本大使に一報を入れると「議員団のレオン市内入りを止めるよう」示唆がありました。しかし真夜中近く県庁に入り地元県庁側と協議した結果、議員団の弔問を受けたいということになりました。

香川県議会議長と知事名の献花、議員団12名の弔問、隣の大聖堂での葬儀参列など思わぬ展開になりました。私は夢中で対応しましたが、後で大使に顛末を報告した時、「よく対応していただきました」とねぎらいの言葉がありました。

 今日その大聖堂の前を通りかかると日本女性が足を引きずっているので診るとマメを化膿させたようでした。化膿してしまえばわたしの手に負えないので薬局に通訳として同行しました。薬剤師から、どうしてそんなに専門用語分かるのか不思議がられました。

写真は レオン大聖堂

2019問屋正勝の巡礼日記⑫

2019年5月13日

5月4日

 Carrión de los Condes - Terradillos de los Templarios, 歩行距離26.3km

 昨夜はCarrión のSanta Matía教会(12世紀)の夜のミサに参列しました。修道女三人が賛美歌を歌いギターの伴奏をしました。賛美歌には不思議な力があります。

ミサの後、40~50人の巡礼者は祭壇の前に集められ神父による道中の無事の祈りと祝福がありました。

 今朝の気温摂氏2度。午後になっても寒い一日でした。

 

5月5日

 Terradillos de los Templarios - Bercianos del Real Camino, 歩行距離23.2km

 メセタと言われる高原台地が続きます。単調な行程をきらってレオンまでバスに乗る人がいますが、私にはその気持ちが理解できません。

 3時間余り歩くとSahagün(サアグン)の町です。R大学のスペイン歴史専門教授の情報によると11世紀頃この町にはフランス人が多く入植して大きな勢力となったという。

街中のバルに入って聞き込みをすると、昔はやはり大勢のフランス人がいたが今は一人(?)しかいないという。

 夕方、カリオンで私のスパゲティをうまいと言ったイタリア人が同じ巡礼宿にチェックインしました。調子はどう? と尋ねると、足にできたマメが痛いと言う。診ると足の裏に大きなマメが二つあります。

 慣れた手つき(自分で言うのも何ですが)で処置をすると、おおいに感謝されました。この人はイタリアで歯科医をしているそうです。医者の治療をするのははじめてです。

 

5月6日

 Bercianos del Real Camino - Mansilla de las Mulas, 歩行距離26.3km

 昨夜、イタリア人歯科医のマメの治療の噂を聞いてブラジル人の青年が自分もマメでとても苦しんでいので助けて欲しいと言う。踵付近で皮膚が厚く小さいので的確に針をとおすのに少してこずりましたが、なんとか済ませました。

 今日の宿でくつろいでいるとそのブラジル人がマメはすっかりよくなった、もう痛くない、感謝しています、と言う。

 今日の行程はメセタ(高原台地)と呼ばれる起伏のないまっすぐな道です。

 夕食はブラジル人、ドイツ人、韓国人、南ア人が同席でした。スペイン人はこの時期稀です。

 

 写真 Sahagünのバルはオバサン

2019問屋正勝の巡礼日記⑪

2019年5月10日

5月2日

 Castrojeriz - Frómista, 歩行距離 24.7km

早朝のパコの家で一人コーヒーとトーストの朝食をとり、夜明け前にCastojerizを後にしました。丘の途中で夜明けを迎えました。気温が低く風が強いため持参の防寒着を全部着込みました。

FrómistaのSan Martín教会はもっとも完全に保存されているロマネスク様式の建造物だそうです。

ロマネスク様式は11~13世紀の250年間サンティアゴ巡礼路で栄えたキリスト教建築美術様式です。素朴な外見の中に深い精神性があるといわれています。

 

 

5月3日

 Frómista - Carrión de los Condes, 歩行距離18.8km

寒くて手袋を離せない一日でした。

今日の宿泊はカリオン・デ・ロス・コンデスの修道院、料金は約1000円。昼食は日系ブラジル人タカオ君夫妻と韓国人のヨンさんを誘って近くのスーパーで材料を買って自炊しました。

メニューはスパゲティ・ミートソースと野菜サラダ。居合わせたイタリア人が美味しいと言って一緒に食べました。

 

 写真は

FrómistaのSan Martín教会(11世紀、ロマネスク様式)

 

2019問屋正勝の巡礼日記⑩

2019年5月8日

4月30日

 Burgos - Hornillos del Camino, 歩行距離 21km

 Burgosの巡礼宿の朝食で隣の女性(50歳台後半)から日本人ですかと尋ねられました。食事はそっちのけでこれまでの二回にわたる日本旅行の思い出話が止まらない。四国遍路、高野山、熊野古道、上高地みんな素晴らしかった。

 特に秋の紅葉の四国遍路は良かった。安全、清潔、比較的安い物価で人々は親切で人なつっこい。小型の英文ガイドブックには必要な情報がみんな記載されているので困らなかったと言う。

 膝関節を傷めたO氏はブルゴスで3泊して今日は私と別れて10km歩いて様子を見ることにしました。

 3時間ほど歩いたところのバルで休憩しミルクコーヒにタパス料理を注文しました。

 今日のアルベルゲの夕食は泊まり客12名。国籍はフランス、ブラジル、南ア、ギリシャ、日本、ドイツ、韓国。前に座ったブラジル人夫妻とスペイン語で話していると皆不思議がります。

 

5月1日

 Hornillos del Camino - Castrojeriz, 歩行距離19.9km

 出発して間もなく日の出を見ました。

 今日泊まるCastrojeriz(カストロへリス)は思い出の多い町です。

 2007年、巡礼の後、村営巡礼宿で二週間一人でボランティア管理人をしました。

 十月末、朝夕は冷え込むというので巡礼宿向かいの住人パコとグロリア夫妻が自宅に招いてくれました。考えられないことに二週間宿泊、食事、洗濯までお世話になりました。

 今日もご自宅に泊めていただくことになり、先ほど3人で昼食をいただきました。夜は私がご夫婦を夕食に招くことになりました。

 TVニュースでは令和の儀式の様子が短いですが繰り返し報道されています。

 Castrojerizの村はずれにサンタクララ修道院(Monasterio de Santa Clara)があります。厳しい入出場の規制があります。毎朝8時のミサでは修道女の美しい賛美歌を聞くことができます。2007年ボランティアをしている間、私は毎朝ミサに通いました。

 2009年、巡礼途中の私にパンプロナ(Pamplona)まで会いに来てくれたバスクの住人ハビエルとドミニカ夫妻にその話をすると、ドミニカの従姉妹がサンタクララ修道院にいる、もし希望するなら面会できるといいます。

 巡礼を続けてCastrojerizにさしかかったときサンタクララ修道院を訪ねました。二階の小さな面会室に通されしばらくすると頑丈な鉄格子の向こうに高齢の修道女が二名現れしばらくすると海外からの珍獣を見るためさらに10名ほどの老若の修道女が鉄格子の向こうに現れました。飲み物とクッキーが出され30分間ほど賑やかに話しました。

 ここCastrojerizには伝説のhospitalero(巡礼宿管理人)、Julián CampoとJosé Manzanosがいましたが2006年、私が来る前年脱線事故で亡くなりました。二人には興味深い話がありますが詳細は割愛します。

 

写真は巡礼路の日の出

2019問屋正勝の巡礼日記⑨

2019年5月4日

4月29日

Burgos、巡礼は休み。

ここは歴史のある町です。

 中心部の建物には「1497年4月23日、このカステージャ王国元帥の家で、カトリック王イサベル・フェルナンド夫妻は第2回新大陸への旅から戻ったコロンブスと謁見し冒険の旅のすべての権利について確認した。」とあります。

 昨年はGranadaからサンティアゴまで巡礼の旅(1300km)をしました。初日の宿泊はPinos Puenteと言う村でした。この橋には新大陸発見に繋がる冒険の旅に関わるイサベル女王とコロンブスの契約条件のあらそいの逸話があります。私の昨年の巡礼と今年の巡礼がここでもつながりました。

 O氏と米人ルーシー(60歳台?女性)を誘って3人で19時半からの大聖堂のミサに参列しました。私は洗礼を受けていませんが巡礼中のミサには心に沁みるものがあります。その後近くの飲み屋街で2軒のバルをハシゴしました。

写真はカトリック王がコロンブスと謁見した建物

2019問屋正勝の巡礼日記⑧

2019年5月3日

4月26日

Viloria de Rioja - Villafranca-montes-oca, 歩行距離 19.9km

 昨夜は巡礼宿のオーナー夫妻(アカシオとオリエッタ)それと私を入れて宿泊した巡礼者5人で夕食の卓を囲みました。俳句の黛まどかさんが共通の知人であることがわかり驚きました。

 私は2年前黛まどかさんと2週間黛まどかさんと四国遍路をしました。黛さんは一旦中断したので私は一人お遍路を続けました。

 今日も風が強くて寒く手袋をはなせない一日でした。今日の巡礼宿にもストーブが入っており快適です。

 

 

4月27日

 Villafranca-montes-oca - Agés, 歩行距離 15.6km

 今日の巡礼路にはフランコ将軍の時代国家反逆罪として銃殺された300人の慰霊碑がありました。

 今日の泊まりはAgés(アヘス)の村の巡礼宿El Pajar(麦藁置き場)。

 ここは2007年、最初の巡礼の後ボランティアをした思い出の地です。パエリヤの作り方を教わったのもこの巡礼宿(アルベルゲ)でした。

 一昨日あったルイスはこの巡礼宿のオーナーです。この家族との付き合いは書けば長くなりすぎるので残念ながら省略します。

 この宿には、その後何度も巡礼の途中に泊まっています。

 一週間ほど前から一緒に歩いている千葉県出身のO氏がAgésの巡礼宿に到着すると膝関節が耐え難いほど痛むという。

 人口35人のこの村には診療所も薬局もない。宿の管理人に相談すると救急センターに電話をしてくれました。15分くらいで救急車が来て救急隊員が簡単な問診と診察の結果25km先のBurgosの病院に行くことになりました。

 私は通訳として救急車の助手席に座って同行しました。サイレンの音で前を行く車を何度も追い越し赤信号でも進行するのはけっこうスリルがあるものです。

 Burgosの大病院に救急車で乗り入れ整形外科医の診察を受けました。私は通訳として同行しました。診察の様子はプライバシーにかかわるのでお話しできません。

 ちなみに私は2006年定年退職後、日本にいる間は週4回くらいのペース医療通訳をしています。

 待合室にいる間に宿泊施設の予約をしてあったので、診察後O氏と一緒にタクシーで移動しました。O氏のために処方された薬とサンドイッチを買い求め宿泊施設のO氏に届けた後、私はAgésの巡礼宿に戻りました。

 午後5時、昼食もとらずに駆けずり回っていたので空腹に気がつき巡礼宿で早めの夕食を食べました。

 同じ宿の泊まり客の韓国人巡礼者が4人掛けのテーブルにやって来て一緒に夕食をとりました。英語がほとんどできない人ですが積極的に韓国語、英語、身振り、筆談、日本の歌謡曲で話しかけてくるので、とても楽しいひとときでした。

 その後テーブルにやってきた韓国人の女性(30歳くらいの小児科看護士)が両足に大きなマメをつくって困っていると言う。食後手当てをしてあげました。マメの処置には自信があります。

 私のマメの手当ての方法は19歳の時、禅宗のお寺で教わったやり方です。十分消毒した針と糸をマメに通し、糸の両端を切断して、糸を留置するやり方です。寝てくる間にマメのリンパ液が糸をつたって体外に出てマメが無くなるということです。

 

 写真は300人銃殺の慰霊碑