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2019問屋正勝の巡礼日記⑧

2019年5月3日

4月26日

Viloria de Rioja - Villafranca-montes-oca, 歩行距離 19.9km

 昨夜は巡礼宿のオーナー夫妻(アカシオとオリエッタ)それと私を入れて宿泊した巡礼者5人で夕食の卓を囲みました。俳句の黛まどかさんが共通の知人であることがわかり驚きました。

 私は2年前黛まどかさんと2週間黛まどかさんと四国遍路をしました。黛さんは一旦中断したので私は一人お遍路を続けました。

 今日も風が強くて寒く手袋をはなせない一日でした。今日の巡礼宿にもストーブが入っており快適です。

 

 

4月27日

 Villafranca-montes-oca - Agés, 歩行距離 15.6km

 今日の巡礼路にはフランコ将軍の時代国家反逆罪として銃殺された300人の慰霊碑がありました。

 今日の泊まりはAgés(アヘス)の村の巡礼宿El Pajar(麦藁置き場)。

 ここは2007年、最初の巡礼の後ボランティアをした思い出の地です。パエリヤの作り方を教わったのもこの巡礼宿(アルベルゲ)でした。

 一昨日あったルイスはこの巡礼宿のオーナーです。この家族との付き合いは書けば長くなりすぎるので残念ながら省略します。

 この宿には、その後何度も巡礼の途中に泊まっています。

 一週間ほど前から一緒に歩いている千葉県出身のO氏がAgésの巡礼宿に到着すると膝関節が耐え難いほど痛むという。

 人口35人のこの村には診療所も薬局もない。宿の管理人に相談すると救急センターに電話をしてくれました。15分くらいで救急車が来て救急隊員が簡単な問診と診察の結果25km先のBurgosの病院に行くことになりました。

 私は通訳として救急車の助手席に座って同行しました。サイレンの音で前を行く車を何度も追い越し赤信号でも進行するのはけっこうスリルがあるものです。

 Burgosの大病院に救急車で乗り入れ整形外科医の診察を受けました。私は通訳として同行しました。診察の様子はプライバシーにかかわるのでお話しできません。

 ちなみに私は2006年定年退職後、日本にいる間は週4回くらいのペース医療通訳をしています。

 待合室にいる間に宿泊施設の予約をしてあったので、診察後O氏と一緒にタクシーで移動しました。O氏のために処方された薬とサンドイッチを買い求め宿泊施設のO氏に届けた後、私はAgésの巡礼宿に戻りました。

 午後5時、昼食もとらずに駆けずり回っていたので空腹に気がつき巡礼宿で早めの夕食を食べました。

 同じ宿の泊まり客の韓国人巡礼者が4人掛けのテーブルにやって来て一緒に夕食をとりました。英語がほとんどできない人ですが積極的に韓国語、英語、身振り、筆談、日本の歌謡曲で話しかけてくるので、とても楽しいひとときでした。

 その後テーブルにやってきた韓国人の女性(30歳くらいの小児科看護士)が両足に大きなマメをつくって困っていると言う。食後手当てをしてあげました。マメの処置には自信があります。

 私のマメの手当ての方法は19歳の時、禅宗のお寺で教わったやり方です。十分消毒した針と糸をマメに通し、糸の両端を切断して、糸を留置するやり方です。寝てくる間にマメのリンパ液が糸をつたって体外に出てマメが無くなるということです。

 

 写真は300人銃殺の慰霊碑